ふとした時に人生の本質を悟ったような一瞬を感じることがある。車の運転をしている時が多い。人生いかに生きるべきか。人は何のために生きているのか。交差点の信号で停止しているとき、ふっと天の啓示みたいに「悟り」の言葉が降臨する。「なるようにしかなりません」「ケセラセラ」「そのうち、なんとかなるだろう」「命までとられません」だいたいこんな言葉だ。全く前向きではない。どちらかというと諦めに近い。五木寛之氏はあきらめるとは明らかに究めることである。決してマイナスの思考ではないと云っておられる。結局信号が変わった途端にその思いはフット消え去るのである。先日ももうちょっとで答えにたどり着きそうな一瞬があったのに信号が青に変わり消えてしまった。たどり着いたのはガソリンスタンドであった。灯油を買いに来たのだ。
スタンドに入り、灯油コーナーに停車する。すると年配のオジサンがニコニコ顔で飛んできて「灯油ですなァ」と云う。
「18リットルと20リットルお願いします」
「判りました。でも私下手ですねん灯油入れるの。アルバイト頼まれましてん。年金生活で暇なもんで。」
「ああ、そうなんですか。働いているほうがいいですよね」
「それよりご主人、この車なんちゅう車でっか」
「ホンダのクラリティです」
「見たことおまへんでえ、へえーホンダで。こんなカッコええ車あったんですなァ」
「めったに見ませんが」
「実は私、ホンダのアコードハイブリッドに乗ってましてん。スピードは出るし燃費はよろしいし。でもねスピード出しすぎて免許取り消しになったんですわ」
「ヘエ−それは」
「はいな、それから免許取り直しましてん。で、嫁はんにゆうてクラウン買ってもらいました。」
「いいですよね新しいクラウン。いつも新しいクラウンて言ってますけど。とくにRSはよさげですね」
「さいですねん。いやそれ嫁はんがゆうにはトランクの後ろがピンとはねているのが変やと言ってRSは止めましてん。結局クラウンの一番安いやつになったんですわ。」
「そうは言っても500万円以上しますよ。いい奥さんじゃないですか」
そんなやり取りがあり、めでたく灯油を買ったと云う話です。
帰りの信号で停車しているとき「人生は、・・・・・」なんてことは全く頭に浮かびませんでした。ふと「ご主人、人生いかに生きるべきか、先輩として教えてくれませんか」と聞いたならば彼はどう答えるのだろう。「あんた何ゆうてはりまんねん、私らは葬式どうしようかを考えておるんですよ」
と答えるような気がした。
<藤原>
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