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サウスリッジホームの家造り
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暮らしのカタチ ―  臼  ― >>バックナンバー一覧へ戻る

 私の実家には天保10年10月(1839年)に作られた餅つき用の臼があります。そば粉などを挽く石臼とは形、構造が違います。餅搗き用は大木を輪切りにし年輪の中心から特殊な鉋ですり鉢状に削り取って仕上げたものです。高さは60cm前後です。据えて使用します。いわば据えられたままじっとしておればよいのです。あとは杵がペッタン、ペッタン餅を搗くという按配です。天保10年(1839)といえばあと14年すればぺリーが浦賀にやってきます。坂本竜馬,篤姫、小松帯刀など幕末に活躍する人たちが1835年に生まれています。水野忠邦の天保の改革、天保の大飢饉。そのころに作られた臼は今も現役で「コト」ある毎に活躍しています。今年で臼齢170才です。
 
 実家ではなにか「コト」があれば餅を搗きます。嬉しいこととか、目出度いこととか、そのようなときに搗くのです。「コト」という言葉はどのような意味なのでしょうか。幼い頃正月三日、盆二日、祭り一日、コト日中(ひなか)といっていました。今でも普通に使われているのでしょうか。田植えが終わると「さなぶり」という祝いがあります。私自身は今日まで「さなぼり」と思っていたのですが広辞苑でみますとまず「さなぶり」とあって「さのぼり」(早上)へとある。サは稲の意。田植えが済んだ祝い。しろみて(代満)。さおり。さおりのサは稲の意でさのぼりに対し田植えを始める日の祝い、とある。秋には稲刈りが終わると秋祭りが行なわれます。秋の祭りは大祭ですがもちょっと小ぶりの祝い事を「コト」としてちょっとだけ楽しんだんのではないかな、と思うのです。さなぶりなどはその好例だと思います。さおりというのは私のムラでは聞いたことがありません。

 2009年4月5日、父と母がともに88歳を迎える年というので米寿を祝う会を催しました。夫婦揃っての米寿の祝いは稀ですので、父母のご兄弟の方たちにも声をかけさせて頂き、城崎の西村屋さんにて催しました、以前京都ホテルで親族の方の祝いの会があり久しぶりに御一緒した母の兄が「めでたいことで親戚が集まるのはいいね。近頃は葬式のときばかりだからね。」とおっしゃっていたことを私の妻が覚えていたことも今回の祝う会開催の一因となったわけです。

 臼の話です。この米寿を祝う会に来ていただく方々にお餅をお土産にしようと父が申しますので餅を搗くことになりました。春とはいえヨモギは芽を出したばかりです。弟が摘んで集めてくれました。「大変やったんやで」とぼやいてましたが、そのおかげで素晴らしい草餅ができあがりました。試食するとものすごく美味しいのです。父が城崎で明日に備えて宿泊している人たちへ届けてやってほしい、と言うので姉の娘のA美さんが届けてくれました。皆さん大喜びだったそうです。A美さんは今回の祝う会の司会をやって頂いた方です。

 170歳の我が家の臼は今回も活躍してくれました。活躍といっても最初に書きましたように本人はただじっとしているだけです。臼は黙って170年なのです。でも一体いままで何回出番があったのでしょう。今まで父と私と弟で何回となく搗いてきましたし、母が若い頃は父と母で餅を搗き私たち子供が餅を丸めていました。その頃10臼くらいは軽く搗いていたように思います。ひと臼もち米2升見当ですので20升くらいは搗くわけです。そのうち私と弟が搗き手の主役になります。
二人で競って搗くのですが1臼搗くと息が切れふらふらになります。交代で次は弟です。要は体力勝負をしている訳です。お互い負けるわけにはいきません。ここまで体力が要るのは「杵」に問題があるのです。なにしろ重いの一言に尽きるのです。赤樫で作られたその「杵」の重すぎること。「ちょっと重たすぎるんや」と父は言いながら40年そのままです。


 今回の祝う会に来てくださった親族の皆様はこの臼で搗いた餅を食べたて育った人たちです。貧しい田舎の農村の娯楽は少なかったので、餅を搗いて食べるというのは楽しみの一つでもあり贅沢のひとつだったのではないでしょうか。貧しかったけれど家族の団欒があったような気がします。考えてみれば田植えも稲刈りも何もかも大人も子供も一緒になってやっていた頃の話です。

 祝う会が終わり実家へ帰ると玄関から入った三和土の二階に上がる階段下に臼は黙って座っていました。「ああ、そこにおったんか」という感じでした。
 奈良の我が家に帰ってから、あの臼のことが妙に気になるのです。直径、重さ、高さ年輪、原木の種類、作られた経緯、傷みの程度。実は私は何も知らないのです。幼い頃から見てきました。何回となく餅つきをしてきました。たまには洗ってやったり、横腹を拭いてやったりしたこともありました。重すぎるのでLPガスのタンクを転がすようにしていつもの場所に収めてやったこともありました。しかし本当は何も知らないのです。知らないということは語ることが出来ないということなのです。
 連想して―― 父のこと母のこと、姉・弟のこと、妻のこと、一人息子のこと、一人息子の嫁のこと、ご先祖様のこと。 臼に限らず私は私の周囲の人達と物について何も知らないことに気がついたのです。空気のように私を包んでいてくれる万物のことについて。

 臼は初めて静かに言った。待っていたよ、長いこと。おまえのことを・・・・    <藤原>

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