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 「よくも断じ給えるかな」 大政奉還を決断した徳川慶喜に対し坂本竜馬が呟いた言葉です。このとき竜馬は大政奉還を決断した慶喜の為なら命を捨てても良いと思った。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(8)の中の一場面である。小説では以下のように書かれている。

 「大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん。」

  岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通らが画策する倒幕の密勅降下と、土佐の坂本竜馬、後藤象二郎が幕府の側近を通じて将軍徳川慶喜を説得している大政奉還の決断が同じ日に為されたという驚くべき歴史的偶然。慶応三年十月十三日、午後、慶喜の表明のほうが数時間早かったという。

 今回は読書について。趣味は読書ですと言えば、読書は趣味と言えません、と言う人がいる。特に趣味だとは思ったことはないが、私の場合単に活字中毒ではないかという気がする。暇があれば本を読んでいたい。ソファーに寝転んでの読書が一番心地よい。夜、布団にもぐりこんで小さな電気スタンドの灯りで読書するときの幸福感は故城山三郎氏の申される通りである。しかし本を読んだからといって特別偉くもならないし、何のご利益もなさそうである。若干知識が増えるのと、難しい漢字の読み書きが会得できるようになることくらいである。しかし、長年読書を続けていると今まで気がつかなかったが、ある文章の深い意味を知る機会があるのです。そして、その機会に出会うことが読書の本当の価値だろうなと最近思うのです。

 その一例が最初に書いた竜馬の呟いた言葉の意味です。「竜馬がゆく」は文春文庫で(1)〜(8)巻まであります。私は旧版と新装版を所有しており、今まで3回くらい通読しています。が、最初に書きました「よくも断じ給へるものかな・・・・」というところは2回ともただ文章として脳の中を通過していただけのことだったのです。それは一般的に知識といわれるものであると思います。ああ坂本竜馬がそんなふうに慶喜の英断を称えたのかという理解です。もちろんそれなりの感動をもって読んだことはたしかですが。悲しいかなその年齢の経験量に見合った理解しかできていなかったのです。

 しかし経営者になってお金の苦労を経験して初めて、「よくも断じ給へるものかな・・・」と言った竜馬の言葉の重大さを知ったたような気がするのです。経営者に限らず、受験生であってもよいし、アスリートと言われる競技者、あるいはチャイコフスキーピアノコンクールで優勝を得ようとする演奏者等々、おそらく皆さん「断じ給える」の意味を理解できるかもしれない人たちだと思うのです。
 家康以来の名君と言われた徳川慶喜。誰に諮ることなく独断で政権をなげうった人物の評価はいまだに定まっていないようです。

 明治になり慶喜は何も語らず写真をはじめとして多くの趣味に生きた。写真に関しては明治時代の日本の風景を大量に残した。今ではそれらは貴重な資料と言われている。写真だけが真実を語る確かなものだと思っていたのかもしれません。かれは76歳まで生き、21人の子を作り趣味多彩で生きた。大政奉還の決断に際し全てのエネルギーを使い果たしたとき彼の人生は終わっていたのだろう。
<藤原>

 

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