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サウスリッジホームの家造り
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こだわりの空間
暮らしのカタチ ― 盆から彼岸過ぎまで ― >>バックナンバー一覧へ戻る

 英語でパンプキンという。「カボチャ」に較べて、なんとなく上品で明るい感じがする。田舎では昔から「どてかぼちゃ」といってどちらかと言えば軽い存在であった。藤原正彦「ヒコベエ」の中でも〈ドテカボチャ〉とあったから信州でも但馬でも呼び名はいっしょらしい。そのドテカボチャ君たちは、収穫後たいがい農家の軒下の雨のかからない所に転がっていた。

 カボチャは、畑の片隅に植えられていた。その辺りの土は結構肥えている。何故ならば畑の片隅は生ゴミの捨て場になっていることが多く、それらが自然発酵して良き肥料になっているのである。ミミズも其処を掘ればいくらでも取れたものだ。カボチャは梅雨時から初夏にかけて、畑の土手を占領する。土手とカボチャはまこと相性がいいようである。その頃のカボチャの蔓と葉は元気旺盛である。黄色い花が連なって咲く。しかしそれらは大概雄花であり、実のなる雌花は隠れて咲いている。

 サウスリッジホーム本社の西側に貸し農園がある。「ふれあい農園 平野10号」で、大阪市農業センターが管理をしている。40区画ほどあり、それぞれ5坪程度の広さである。土日、〈野良仕事〉をしている人たちを見る。作柄はきゅうり、なす、トマト、ゴーヤ、とうもろこし、サツマイモ、サトイモ、レタス、ねぎ(何種類か)、玉ねぎ(紫玉ねぎあり)、アスパラガス、青梗菜(ちんげんさい)、ミズナ、とうがらし(何種類か)、赤シソ、青シソ、ジャガイモ、等である。オクラは月見草に似た大ぶりの黄色い花が咲く。カボチャ、きゅうり、ゴーヤ、スイカ、トマトなどは黄色の花である。唐辛子は白い花が咲く。ナスは紫である。花が咲くとどこからともなく虫がやってきて花の蜜を吸う。ついでに受粉の手伝いをする。確かめたわけではないが、花それぞれに専属の虫がいるようだ。

 「こつまなんきん」 農園で野菜を作っている小父さんが「これはこつまなんきんといってなァ、小ぶりやけど美味しいんやでェ」と教えてくれた。拾何個か生っていてすでに「行き先」(嫁入り先)は決まっているそうだ。「今東光の小説にありましたね」と私が言うと「さすがあんた年取ってるだけあるなァ」と言って笑った。普通カボチャは地面に這わせるが、ここのカボチャは土地が狭いので会社のガレージと畑の境界フェンスに伝わせてある。そのせいでカボチャの実は中空にぶら下がることになるのだが、小父さんは大和川の葦を刈り、それでカボチャの座布団を作り、フェンスに括り付け、その座布団にカボチャをのせて保持させている。小父さんは「すぐに食べるよりヒト月でもフタ月でも寝かしてから食べるほうが美味しいんやで」とも言っていた。ある日小父さんは「こつま南京」を3個くれた。カボチャにはそれぞれ受粉月日を記録した札が付けてあった。

 夏目漱石は「すみれ程の小さき人に生まれた志」と明治30年正岡子規に宛てた手紙に書いた。重松清の「カシオペアの丘で」の中で祖父が主人公に向かって「おう、そこにおったんか」と言う場面が何度か出てくる。この祖父は炭鉱の坑道内で爆発があり坑内に何十人も残されているにもかかわらず、最終的に坑内に注水を決断したという人である。その結果何十人もの人が死んだ。主人公の友人の父親も死んだ。人殺しと言われ、非難轟轟だった。そんなむごい経験をした祖父も年をとり認知症になっている。この本の主人公は癌を宣告され余命数ヶ月である。故郷の北海道へ帰り、昔仲の良かった仲間たちに会う。会って密かに別れをするという話である。祖父がふと我に帰り、主人公である孫に向かって「おう、そこにおったんか」というとき、祖父は孫に「おまえは、普通に生きたらええんやで」と言っているように思える。

 こつま南京を見ていると、漱石の「すみれ程小さき人にうまれた志」と、祖父の「おう、そこにおったんか」とを連想する。そして〈こつま〉が、私みたいに普通で生きればいいのですよ、と言っているような気がするのである。 <藤原>

 

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