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サウスリッジホームの家造り
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暮らしのカタチ ― 盆から彼岸過ぎまで ― >>バックナンバー一覧へ戻る

 私は「同窓会」というものに一度も出席したことがない。それにはちょっとした理由がある。若い頃に自分は流星のごとき人生を送りたいと決意したことがあり、それが今日に至るまで心に生き続けているのである。流星のように一直線に振り返ることなく生きてゆくのが人生そのものだと思ったのである。同窓会に出ると中途半端に過去を振り返ることになり人生への緊張感が崩れてしまうのではないかと恐れるのである。
 高3、豊岡高校バレー部を引退した8月初旬のよく晴れた夜。友人Оの家の庭先に筵をしいて、二人でしし座流星群を観た。大きな流星は「シュツ−」と音をたてて漆黒の闇に消えていった。一時間程でそのような「大物」を十数個見た。そのとき「自分は流星のごとき生き方をしたい」と強く意識したことを覚えている。司馬遷の「史記」にある易水歌「壮士ひとたび去って再帰らず」の文句にいたく感動していた頃である。
 最近、日本経済新聞出版社の日経プレミアシリーズ「梅棹忠夫 語る」聞き手小山修三を読む。そのp207。梅棹―それはそうや。私は人類全体の一固体にすぎない。人は、長い間生きてきたなかで、空々漠々の中から出てきて、空々漠々の中に消えていく。そういう一固体としての自覚が私にはある。


                私がこの文章に出会ったのはただの偶然なのだろうか。

 

 人間は生まれて生きて死ぬ。永遠の宇宙からやってきて、宇宙のかなたへ去ってゆく。ただそれだけのことである。一固体達は消滅し何十億個のDNAが生き続けるだけである。
 2010年12月28日NHKニュースウオッチで青山アナウンサーが指揮者小沢征爾氏にインタビューしたときのこと。カーネギーホールでブラームスの交響曲1番を演奏したとき最高の演奏ができたと感じた、と答え、その演奏が終わった一瞬、(彼は)何かに「タッチした」、のですと言った。「タッチした」と表現したところの「何」かを、小澤さんは違う言葉で(つまりもっと正確に)表現しようと、虚空を睨んでいたが、やはりタッチしたというしかないですねと吐息をまじえて言った。そしてそのあと虚脱したようにうなだれた。「タッチしたところの感覚」というものは、生命が流星のごとく向こうからやって来てまた虚空の彼方へ飛び去って永遠に消え去ってゆくその玉響(たまゆら)に生じた「恍惚」のようなものなのだろうか。それは「神」に触れねば得られない感覚なのだろうか。

歳月は人を待たず過ぎ去ってゆく。人生とは、流星のごとき一瞬のうちに過ぎ去るのだろうが、指揮者小澤征爾氏が「タッチした」といった瞬間を一つでも二つでも感じることが(イフ)出来れば一固体としての自分の人生にいくほどかの意味があったと言えるのではないかと思うのである。

 去年の暮れ。Оの奥さんから「家を新築したので見てくれませんか」と電話があった。5月のゴールデンウィーク帰省の折に彼の家に寄った。昔二人でしし座流星群を眺めた庭と母屋はそのまま残っており、母屋の左横に新築された家があった。庭をはさんで反対側には二基の天文台が並んで建っていた。新築の家の北西に広々とした畑があり、タマネギやジャガイモなど色々な野菜が植えられていた。畑の北西の端から南東に向かってポプラ並木が数十メートルあり、風に揺れていた。風にそよぐポプラ並木を見ているとスメタナの「モルダウ」が静かに流れ出した。私は還暦で家を新築したОにサントリーリザーブを贈った。<藤原>

 

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