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サウスリッジホームの家造り
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暮らしのカタチ ― クヌギ ― >>バックナンバー一覧へ戻る

 私の住まいは北玄関の二階建てである。南の裏庭の先はSさんが所有する500坪程の畑が広がっている。若干高台なので一階のリビングからの視界は東南に広がり、白鳳台とその向こうに広がる葛城市、香芝市、大和高田市の市街を遠望することができる。市街と空の視界の比率は50対50位である。7月終わりから8月中旬にかけて何箇所かで行なわれる花火大会を見ることができる。西側はちょっとした林で、楢の木が7〜8本南北一列に並んでいる。高さは25mから30mはあろうかという大木である。木々の向こう側は西の空が透けて見えている。つまり小高い丘の頂上近くに立ち並んでいるのである。ちなみに林の西側に廻って眺めると、こんもりした森がかまぼこ状になって北の東急 「美しが丘ニュータウン」に向かって延びている。どうも全て楢の木のようである。「ああ、これが武蔵野の風景か」と思った。武蔵野はクヌギやコナラ、ミズナラの群生する林であったと何かの本に書かれていたのを思い出したのである。松本清張の作品には頻繁に「武蔵野」が出てくるが、今まで本当のところそのイメージが掴めていなかったのである。
 「ほんとうのところ」というのはなかなか含蓄のある言葉である。例えば人間を例にとってみると、生年月日、身長、体重、胸囲、座高、血液型、髪の色、学歴、等々数限りないデータを揃えてもその人のことが解るわけではない。仮に現代医学の最先端技術を使ってある人の数値を数限りなく揃えてもその人が「ほんとうのところ」どのような「人間」であるかを知ることは難しいだろう。

 ただ私は「楢の木」の「ほんとうのところ」を知っているように思う。クヌギ、ミズナラ、コナラなどが楢の木と呼ばれる。インターネットで調べれば大概のことは知識として得られるだろうが、木の本質までたどり着けないだろう。「本質」とは「ほんとうのところのもの」である。

 

 1960年前後。中国山地では冬場の仕事として炭焼きが盛んであった。植林が国策で奨励され、落葉広葉樹の自然の山が杉や檜の山に変っていった。樫や楢の木を焼いて炭をつくり、綺麗になった山肌に植林するのである。主に杉と檜が植えられた。これが後になって花粉症の原因になろうとは誰も思いもしなかっただろうが。
 私の父は働き者で年がら年中働いていた。冬には炭焼きをしていた。小学校5年生、6年生の頃、父と一緒に山へ行き炭焼きの手伝いをした。焼くのは備長炭で知られる白炭であった。樫が一等で楢がその次とされ以下は雑と呼ばれていた。私は父と二人で樫の木やクヌギやミズナラ、コナラを何本も切り倒し、枝を打ち払い、切り刻んだ。樹齢何十年の樹を切り倒した。クヌギの大木をがんど(のこぎり)で切ると、樹液が絡まり目が詰まって切れなくなる。樹液でどろどろになったがんど(のこぎり)を無理やり引いて切る。あらかじめ倒す方向へ楔形の切れ目を入れておくと、やがてその方向へ「ドーッ」と倒れていく。

 高さ30mも有ろうかという大樹が倒れる音を表現するのは難しい。倒れた切り株からは樹液のいい匂いがした。切り株に顔を近付け舐めたこともあった。味はもう覚えていない。クヌギの大木を切り倒したとき、「やったー」という勝利感が確かに一瞬あったが、不思議な寂寥感も感じた。その寂寥感の正体は解らず、何本も何本も樫や楢や雑木を切り続けた。倒した木はある一定の長さに裁断し、山の斜面を使って炭焼き小屋の横の広場まで落とす。弟と二人で木に跨って滑って降りた。登ってはまた滑って降りを繰り返して遊んだ。クヌギの木肌の荒っぽさが手に掴みやすく、滑るには丁度良かったのだと思う。今から思えば危ないことであったが。

 我が家の西に楢の並木が風に揺れている。7月終わりになると春とは違う若葉が出る。今ある枝葉の先に更なる感じで咲くように伸びる。林では朝早くから鶯が鳴き、クマゼミや油蝉がにぎやかに鳴き始める。ホトトギスもいる。夕方にはヒグラシが鳴き、夜はふくろうが音もなく飛ぶ。夏の風に揺れているクヌギ林を見ていると、ふと昔感じた寂寥感を思い出した。

 
     「俺はお前たちのことを誰よりも知っているんだなァ。わかりますか」


 裏の土地の持ち主はSさんという。Sのおやっさんとは長い付き合いであったが、ガンで亡くなってしまった。おやっさんが生きているとき、巨大なクヌギが何本かあり、それを切り倒したことがあった。切り倒されたクヌギは輪切りされて元の木のあったところに長いこと置かれていた。木の中は大きな洞(ウロ)になっていた。あの時ひとつ譲って頂いておけば良かったな。と思ったが後の祭りである。

 機会があれば、おやっさんの奥様に「あのクヌギ林を譲って貰えませんか」と頼んでみようと思う今日この頃である。そんな酔狂な願いが叶うのだろうか。 <藤原>

 

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