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サウスリッジホームの家造り
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暮らしのカタチ ― コトダマ ― >>バックナンバー一覧へ戻る

 「ことば」には魂があるという。14歳の秋。私は10年に一人出るか出ないかの男と言われた。最初に誰かが言った。 そのうち周囲の誰もが「あいつは10年に一人出るか出ないかのエースや」と口を揃えるようになった。 お調子者の私はそれに乗った。 そのころTさんと出会った。 Tさんはバレーボールの練習を毎日のように見に来ていた。運動場を挟んで遠いところから遠慮がちに見ていた。 あるとき彼が私に近づいてきて「○○君はひょっとしたら10年に一人か或いは50年に一人出るか出ないかのアタッカーやで」と静かな口調で言った。 その日からTさんは私にジャンプの仕方を教えてくれるようになった。Tさんの言葉は寝ても冷めても私の脳の中で反復増幅され「お調子者」に磨きがかかって行くのである。 バレーコートの横にハリエンジュのちょっとした林があった。 その中の一本の木の下でジャンプの練習をするのである。Tさんが指示する高さの葉っぱをジャンプの最高到達点で人差し指と中指で挟んで千切るのである。なかなか微妙な高さにあるので触ることはできても千切ることは出来ない。 明けても暮れても毎日ジャンプの練習をした。Tさんは静に飽きることなく私にアドバイスをしてくれたのであった。私はいつのまにか勝手に「100年に一人のエース」になっていた。その気になると人間こわいものでバスケットのリングに指が触れるとこまで跳べるようになった。

 「50年に一人出るか出ないかのアタッカーやで」と言ったTさんの言葉のおかげでジャンプの最高到達点が3m05cm(バスケットリングの高さ)まで届くようになった。
中学3年最後の地区大会で一度も勝てなかった三方中学を破り優勝した。三方中学は監督が3年がかりで作り上げた無敵チームであった。マッチポイントは私のレフトからのフェイントであった。このフェイントについて相手の監督が言った言葉がある。

 「お前たち、あのフェイントが出来るのはめったにおらん。普通ならアタックや。それを相手の指先にあててフェイント気味にコートの外に出す。よく我慢しよったなあ。あんな男はめったに出んよ」

 これは豊岡高校バレー部で一緒になった谷垣から後日談として聞いた。あの鬼監督が言ったというこの言葉で自信が自惚れとなり、いよいよ高校生活をバレーボール一色に加速してゆくのである。勉強などそっちのけで明けても暮れてもバレーボールのことしか頭にない生活になったのである。
 平成23年10月15日の産経新聞朝刊に全日本女子バレーの柳本昌一前監督の記事が載っていた。毎週土曜日に連載されている「人物シリーズ」という欄で、10月22日は第2回目であった。柳本さんは昭和26年6月5日生まれ。私は同じく26年6月15日生まれで全く同い年。記事を読みながらふと、高校1年生だったか、2年の時だったかの近畿大会の記憶が蘇ってきた。私の豊岡高校は一回戦で大阪の都島工業高校に負けてしまった。時間が余ってしまったので、他校の試合を見学しようということになり、いろいろ見て回った中に大阪商大付属高校の試合があった。

 【驚き1】 どデカイおっさんが6人。コートが狭く見えた。
 【驚き2】 取れないと判っているボールでも3人くらいは追いかけて最後は必ずスライディングをしていた。

 ボールに対する執念の物凄さがあった。他の試合も見たと思うのだが、記憶に残っているのは大商大付属の試合だけである。考えてみると私はそのとき柳本さんを見ていたことになる。2年生でエースになり、身長は180cmあったというから「どでかいおっさん」の中に柳本さんはいたのだろう。余談だが柳本さんは右利きだが左でも打てる両打ちのスパイカーだったと書かれているが、私も同じく両打ちスパイカーだったのである。当時私は朝から就寝まで普段右手でする行為を全て左手で行なうように訓練していた。柳本さんもきっと同じように訓練していたはずである。

                         はじめに言葉ありき

 柳本さんは高校ナンバーワン選手と全国的に注目された。バレー界では「あいつは10年に一人出るか出ないかのエースやで。いやいや50年に一人やで」と言われていたに違いない。そんな周囲の「ほめことば」は少年にとってアドレナリンになり大きな成長をもたらすのである。

 こんな話もある。「あんたは実業家になる。あんたこそ実業家にならなきゃいかん。あんたはほんとに先天的なビジネスマンだ。」これはソニーの創設者森田さんが大賀さんに会うたびに言っていたそうである。繰り返し、繰り返し言われ続けているうちにその気になり 大賀さんはソニーに入社したというのである。

 先日 亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は講演で「ハングリーであれ、スチューピッドであれ」と言った。新聞ではハングリーは貪欲と訳され、スチューピッドは愚か者と訳されている。ハングリーは解り易い。それに較べて愚か者という言葉は意味が深い。不思議な言葉である。今の私なりの解釈を言えば「お調子者であれ」となる。お調子者になって誰に何といわれようが「ほめことば」だけを大切にして軽やかに人生を往け、となります。 <藤原>

 

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