「アンディーがネッ」と岡本が言った。「すごくいいのよ、LP聞いたんだけど」と彼女は胸の前で手を合せて私(ボク)に言った。1969年秋の夕暮れ、高校の音楽室でのことだ。アンディー・ウイリアムスはアメリカ人の男性ボーカリストで当時既にビッグネームになっていた。「ゴッドファーザー・愛のテーマ」とか「ある愛の詩」のテーマ曲は彼が歌ってヒットした。その頃私は高校三年生でバレー部の現役を引退したあとで、ぼんやりとした日々を送っていた。「ふーん、そうか。で いつからそいつと友達になったんや」とそんな意味のことを彼女に言った。 「F君の靴って皮なの?私のは皮靴だけど」と河本好美がいった。1966年春。バレーコートを見下ろす出石川の堤防に座っていた。河川敷の若草が春風に揺れていた。「クラリーノちゃうかな。」と私(ボク)が答えると彼女は「えーっ」と驚いたような表情をして私(ボク)を見た。そして「クラリーノって高価(高い)なんでしょう?」と言った。私は(ボク)は何かウチの貧乏を詰(なじ)られたようないやな感じを抱いたが、彼女は涼やかな顔で風に吹かれていた。私はバレー部を引退した後でぼんやりとした日々を送っていた。卒業式が近づいていた。 二つのぼんやりとした時期(心の隙間)に「割り込んで、居座った」根雪のような二つの記憶である。それがふと蘇るのは不思議なことである。岡本も河本も特に好きでも嫌いでもなく普段の交際も特になかった相手である。ただ河本好美は名前が私の妻と同じ「ヨシミ」なので記憶に留まっているのかもしれない 「アンディーがネッ」 久しぶりに岡本の記憶が蘇ったのは平成24年(2012年)1月15日放送の「SОUL TО SОNG」の中でアンディー・ウイリアムスを見たからである。ポール・サイモン、アート・ガーファンクルとアンディー・ウイリアムスで「スカボロー・フェアー」を歌っていた。映像は1968年4月に放送された「アンディー・ウィリアムスショー」からであった。当時彼は人気の絶頂期で岡本が「アンディーがネッ」というのも無理からぬことなのである。
「スカボロー・フェア」はイギリスのフォーク歌手マーティン・カーシーがギターをかき鳴らしているうちに出来た「原曲」をポール・サイモンがリファインした。そこへアート・ガーファンクルが「詠唱」というフレーズを付け加えた。反戦という意味を付け加えたのである。久しぶりに「スカボロー・フェアー」を聞くと当時が自分の青春時代だったのだなと気づかされる。学生運動、ベトナム戦争、70年安保改定反対。明日にも佐藤政権が瓦解すると信じていた頃。連合赤軍、べ平連。地下にもぐった友人T。10・23反戦デー。S&Gは「清しこの夜」を歌い、その曲のエンディングのバックグラウンドに午後7時のニュースでジョンソン大統領がベトナムへ爆撃を命じたとの報道を小さく流した。
1969年冬。浜坂の渡辺の家に行った。彼の父上の好意でユースホステルの大温泉に入れてもらった。その後渡辺の家の彼の部屋で過ごした。「あのな、カラヤンが日本にくるんやで。これはえらいことなんや。判ってるか。カラヤンやでぇ」と渡辺は言ってLPレコードを私(俺)の顔に押し付けた。今でも彼の三日月形の目と眉が笑っているのを思い出す。その頃私は高校卒業間近でぼんやりとした日々を送っていた。
我ら団塊の世代は激動の時代をリアルタイムで経験して数々の重要な記憶があるはずなのにそれらは見事に脳から欠落してしまい、フト蘇るのは取るに足りない事ばかりなのは、どうしたことだろう。近頃一番びっくりしたのは小学校の卒業写真を見て自分がどれなのか判らなかったことである。<藤原>