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サウスリッジホームの家造り
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暮らしのカタチ ― 桑の実 ― >>バックナンバー一覧へ戻る

 田舎の、二軒隣のイトエさんはわさびのおひたしを作るのが上手な婆さんだった。わさびの若葉と茎を熱湯に浸して、そののち薄い醤油味で仕上げてある。その秘伝は今も不明だが(ピリッとして)とても良い味がした。イトエさんは渋柿の渋抜きが上手だった。イトエさんの孫に当たるシゲさんは私より1つ上の近所の遊び仲間で、ときおりその渋抜きの柿をくれて、一緒に食べた。イトエさんは蕗(ふき)の炊いたのも上手だった。イチジクのジャムも作っていた。確か「桑の実の」ジャムも作っていたように思う。

 桑の実といえば子供の頃よく食べた。当時(1960年頃)村には桑の木が沢山あった。いずれも巨木でありその木に登って桑の実を食べた。ナス紺色を更に黒っぽくした色の実は完熟しており、甘ずっぱい味がした。指先も口のまわりも口の中も紫色に染まった。

 夏。我が家の裏の雑木林は賑やかだ。鶯、クマゼミ、ヒグラシ、ヒヨドリ、カラス、それから雑草に潜む虫の音。正体不明の「ガコッ」と鳴く鳥?(カエルではないかとの説あり)もいる。

7月下旬早朝ホトトギスの声を聞くようになった。



 ホトトギスは「てっぺんかけたか」と鳴くといわれている。いつだったか父は「いっかんこけたか」といっているように聞こえた、と言ったことがある。"いっかん"とは「一貫目(3.75s」」のことである。当時この地方では養蚕が盛んであり、数少ない現金収入の道であった。蚕とは言わず(蚕さん)と呼んでいた。15gほどで買った蚕さんの幼虫は成長すると家の2階の床全体に広がり青白い海原のような量になっていた。その蚕さんたちが食べる桑の葉を採集することを「コク」と通常言っていた。この地方の方言であろうか。父とは母は田植えが終わり、やれやれと休むまもなく桑の葉採りに忙しかった。ホトトギスはそんな二人の姿を見ながら「一貫こけたか」と囃し立てていたのかもしれない。

 蚕さんが増えると、桑の葉は遠いところまで行かなければ手にはいらなくなった。そこで新しいタイプの桑の木が登場した。田圃を畑にして長い畝を何条も造り、畝に桑の木の「株」を植えてゆく。毎年6月頃になるとその株から5〜6本の若木が2メートル程に成長し葉をつける。その若木を根本から刈り取り、その枝葉のまま食べさせるべく蚕さんの「海」に乗せてゆくのだ。そのタイプの桑の木にも桑の実は成ったが熟しても不味かった。

 今はもう、イトエさんの顔を思い出せない。そもそも私はイトエさんを実際にジックリと見たことがあるのだろうかと疑う。ただ「イトエさん」という言葉が、桑の実とか、わさび漬けとか、当時の日常生活の諸々の記憶を蘇らせるのである。<藤原>

 

 

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