平成25年9月17日。朝から快晴であった。台風で福知山市や京都の渡月橋周辺が大変な被害を受けたというのに、なぜにもこんなに空は碧く美しいのか。私と父は朝からジャガイモを掘った。秋枯れした40坪程の畑は草が茫々と茂っていた。せいぜいシシトウの葉の緑色と秋茄子のくびれた実の紺色が色彩を留めているばかりであった。畝らしき盛り上がりが3筋ほど見えた。真ん中の畝をクワで掘る。枯草がクワに絡む。構わず、掘る。そのうち土の表面近くから小さなジャガイモたちが顔を出し始めた。しばらく芋ほりを続けていたら、爺さんが(父のこと)毅然とした声で
「そんなこっちゃ、アカン」 と言った。
父はクワを持つと、先ず、ゆっくりと畝に纏わりついている枯草をこそげとっていった。枯れた所作で無駄がない。そうして処理された畝を丁寧に掘ってゆくとカラカラに乾いたジャガイモが転がり出てくるのであった。いつかテレビで見たアンデスのジャガイモそっくりであった。
「こうするんじゃ」 とクワを構えて父が言ったとき私は、「子連れ狼」のワンシーンを思い出していた。
「大五郎、持つということがわかるか。百姓がクワを持つように、商人がそろばんを持つように、武士が刀を持つように、持つということの大切さがわかるか・・・・」 と公儀介錯人の拝一刀が一子大五郎に言った言葉である。
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