恥ずかしながら還暦手前の年になるまで「かいごう」と読んでいた。熊谷達也氏の「邂逅の森」を読んで「かいこう」と読むことを知った。何故こんなことを書くかといえば、先頃ほぼ50年前の自分にまさに「邂逅」したからである。つまり小学校の卒業写真の中の自分に「邂逅」したのである。 それは古色蒼然としたセピア調モノクロの卒業記念写真で、年月の経過が見て取れたが案外ピントは合っていた。個々人の顔は輪郭がくっきりとして容易に判別出来た。にもかかわらず自分がどこにいるのか判別出来なかった。これが自分であると思える顔が見当たらなかったのである。私が私を認識できない。ということは小学校6年生の私は私が判別できない私であり、私はそこに存在していないと同じであった 妻や弟達が「これではないか」と指示した一人が如何やら(どうやら)私であった。言われてみればなんとなく面影があり私に思えてきた。「まことちゃん」のようなおかっぱ頭をしていた。40人前後の生徒たちは如何にも田舎風な顔立ちで並んでいた。私らしき小学生は意外と都会風な容貌で神経質そうな目をしていた。
一体この子供と自分が同一人物なんのだろうかと訝しく思い、いっそ別の人間ではないかと考えたほうが良いように感じた。しかし一方では懐かしい感情が湧いてきて「おお、おまえはなんと純情で無知でしかも夢に溢れた、しかも傷付きやすい童(わらし)なんじゃ」、と抱きしめたくなったのも事実である。タイムスリップとはこんな感じ、感覚なのかなと思った。
「君は名前、なんていうの?」
「藤原じゃ」
「下の名前は?」
「憲一じゃ、アンポ反対やで」
「はて、アンポ?」
「先生は,k大学出身なんや。ゼンガクレンや 樺美智子は死んだんやで」
「あんまりお父ちゃんにはそんなことゆうたらあかんで、ボク」 「ホンで君は何になりたいんや」
「F1レーサーになるんや」
「フーン、そりゃたのしみやなあ」
「壁新聞作ってるんや」
「ほおー、なんちゅう名前かな」
「おおぞら、ゆうねん」
「へええー大きな名前やなあァ」
「でもな、小坂小学校の6Bタイムスちゅうのに負けてんねん」
「そうか、でもおおぞらのほうが型にはまらず、どこまでもおおきく広がっていく感じでおっちゃんはエエと思うがなあ」
「それよりおっちゃんは誰?」
「カーク船長じゃ」
「なに、それ。どこからきたの」
「おおぞらの果ての果ての空母エンタープライズからきたのさ」
「F1より速いか?」
「速い、ワープ出来るからな」
「船長はおっちゃんなんて云わへんでえ」
「還暦になっちまったから、しゃあないわ。ボクは若いからええなあ。夢がいっぱいあって」
「カーク船長も小さい頃あったんン?」
「そりゃ何十光年、何百光年宇宙を旅しておっても、子供時分ちゅうもんはあるし、歳も取るわさ。諸行無常じゃ」
「しゅぎょうむじょう?なんじゃそれ」
「子供はわからんでええ。そんなことより、ボクしっかり勉強しろよ。おっちゃんが応援したるから」
「了解です。カーク船長!」
昭和38年3月某日(晴)兵庫県出石郡出石町中村の上空を南尾の山並みから突如として2機の飛行物体が出現し、ジュラルミンの機影と爆音を残して日本海へ向けて飛び去って行った。<藤原>