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サウスリッジホームの家造り
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 今年に入ってから、あさのあつこの「バッテリー」全巻、番外編「ラストイニング」。佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」3巻(いちについて・よーい・ドン)。重松清の「カシオペアの丘で」(上下2巻)、秋元康「象の背中」を立て続けに読む。年初に三浦しおんの「風が強く吹いている」を読んだのがきっかけとなった。「神童」という漫画も読む。重松清は「流星ワゴン」「その日の前に」も読む。10、11、12歳。13、14、15歳。16、17、18歳の自分はどうだったのだろう、と考えてみる。重松清が書くほど丁寧に物事についていろいろ考えていたかな?と思う。何もかんがえていなかったか、それとも山ほど悩んでいたのに忘れてしまったか。何とか思い出そうとするのだが断片的な記憶が時折甦るだけである。

旬とはいかに!?

森田幸一とトップギャランの〔青春時代〕ではないけれど道に迷っているばかり、だったことは間違いないのだが・・・・。「バッテリー」は映画も観に行く。原作の味を出していたのは弟の青波(せいは)くらいであとはもう一つ物足りないというのが正直なところ。特に主人公(原田巧)の心の屈折と、天才とその周辺で関わりあう凡人の「行き方」がテーマだと思うのだが、それは小説に譲っているようだ。映画よりもちろん原作のほうが、はるかに良い。おじいちゃん(井岡洋三)役の菅原文太もよかった。饒舌にならないところが、深い。それにしても―。

 13歳までに原田康子「挽歌」井上靖「青衣の人」を読み、阿部公房「壁」に衝撃を覚えた。そんな自分が「もの」を考えていないはずがないのだが、「林住期」初期の段階になった私にはその頃の記憶があやふやである。忘却の彼方へいってしまった記憶が時折甦ることがあるだけである。人生は斯くの如きか。<藤原>

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