帯
ロゴ
ホーム 新規物件 こだわり空間 会社概要 住宅性能保証 最新広告情報 お問合せ
サウスリッジホームの家造り
サウスリッジホームの家造り
こだわりの空間
暮らしのカタチ ― 間取り ― >>バックナンバー一覧へ戻る

 私がニュータウン嫌いなのは「方向音痴」に陥るからです。知人の家に行こうとしてもなかなかたどり着けないのです。どの街角も同じに見えますし、家の形もほぼ同じに見えます。道路は碁盤の目状に造られていますし、それがさらに放射線状になっていたりすると、ぐるぐる回っているうちに方向が分からなくなり、だんだん焦りがでてきて心臓がバクバクしだすのです。実に体に悪いのです。仮に自分がニュータウンに住んだとして、飲み会の帰りにタクシーの運転手さんにちゃんと自宅を教えられるか全く自信がありません。私は未だに知人のイチムラ家に車で行く自信がありません。彼の住む泉北のニュータウンには困ったものです。奈良の生駒、学園前辺りのニュータウンは方向音痴に加えて「脱出不能恐怖症」に陥ります。ニュータウン全体が高台になっていて隣のニュータウンへの近道がないのです。例えて言うならギアナ高地みたいにテーブルマウンテン状になっているのです。そんなテーブルマウンテンニュータウンがあちこちに隣接して存在し、「独立国家」然としているのです。となりのニュータウンに行くには一度麓(ふもと)におりてからでないと行けないのです。

 今でも全国各地でニュータウンの計画が沢山あるようですが、どこまでやり続けるのでしょうか。ニュータウン構想は東京の多摩ニュータウン構想を嚆矢とし日本が高度成長期に入った1960年代頃から始まり、田中角栄の日本列島改造論も手伝って爆発的に乱開発が行われたといえます。「団塊の世代」がニュータウン発展の担い手だったのですが、その彼らもいよいよ引退です。今、40年以上経過したニュータウンを見れば、家も人も「疲労」が始まっています。「売家」の看板があちこちに増えてきました。時折見かける住人はお年寄りばかりが目立ちます。「団塊の世代ジュニア」がいるではないかとおっしゃるかもしれませんが、団塊ジュニアは同居を嫌がりニュータウンを出てゆきます。それはそれとして、もうこれ以上日本の人口が増加しないのですから、自然破壊を伴う開発など止めて現状のままの日本の住宅地をリサイクルなりリノベーションによって蘇らせるほうが良いのでは。

 「ニュータウンには文化がない」と言う人があります。それは何故かというと人が死んだことがないからだということらしいのです。お爺ちゃんお婆ちゃんが死んだことがないからだと言うのです。成程一代限りの「街」にちがいありません。そこには団塊ジュニアも孫もいないのです。これから「団塊世代」の人たちがどんどん昇天していきます。それは考えてみれば怖いことに違いありません。孤独死という社会現象がこの30年内に起こりそうな気がします。そのときニュータウンは巨大な「cemetery」訳】共同墓地 になってしまうのでしょうか。
 親と同居をしない団塊ジュニアがまたまた新・ニュータウンを住処(すみか)とするならば、何十年か先に、「廃村」ならぬ「廃ニュータウン」が数多(あまた)存在することになるのでしょうか。 <藤原>

pagetop
サイトマップ 個人情報保護方針 このサイトについて