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サウスリッジホームの家造り
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暮らしのカタチ ― アイムホーム ― >>バックナンバー一覧へ戻る

 「アイムホーム」日本語では「ただいま」にあたります。人は一生のうち幾度この言葉を使うのでしょうか。1日1回使うとして1年で365回。男性の平均寿命は78.53歳ですから365日を掛けると、28,663回となります。女性の平均寿命は85.49歳ですから31,203回となります。つまり人は一生のうち凡そ2万8千回あるいは、3万1千回ほど「ただいま」を言うことになるのです。ただし子供は幼稚園にいくまでは言う機会が少ないし、定年退職し家にいる事が多くなると「ただいま」と言うことも減ってきます。また病院に入院したりするとその機会はごく僅かになってしまいます。とすれば「ただいま」となにげなく言えているときが人生全体のうち「ゴールデンタイム」と言ってもいいかもしれません。

  それに対し「行ってきます」を表す英語はとくにないようです。アイムゴインどこそこということはあるでしょうが。漠然と「イッテキマス」はないのです。日本ではとにかく家をでるときには、行って来ますといいます。戦争にいくときも、オリンピックにいくときも、受験の試験会場に行くときも<いってきます>なのですね。なにかこう戦いに行くときの雰囲気です。やるぞって感じで。職場に行くときも同じ。男は一歩外に出ると7人の敵がいる、と昔から言いました。ですから「行く」という言葉には(ひょっとすると)二度と帰ることはないかもしれないぞ、ということが前提になっているのでしょうか。

「 風 蕭々(ショウショウ)として 易水寒く 壮士一たび去りて 復た帰らず 」

 これは史記・刺客列傳にある有名な易水歌という詩です。秦の政(後の始皇帝)を暗殺すべく出発する刺客が易水のほとりで吟じた詩です。私も青春時代この詩に憧れこんな生き方をしたいと思っていましたが、そのような機会もなく今日に至っています。
 
 団塊の世代と呼ばれるのは1946年から1949年の間に生まれた人たちのことです。この世代の人たちによって日本の高度成長経済が達成されたことは間違いありません。日本全国津々浦々から若者たちが都市へ流入し、企業戦士になったのです。全国の農村で易水歌のような気分で故郷に別れを告げたのではないかと思います。そう言えば「仰げば尊し」の歌詞の中に(身を立て名をあげやよ励めよ)というのがありました。身を立てたか、名をあげたか、は別として、定年を迎えた彼らはどこへ帰ればよいのでしょう。故郷に錦を飾れという言葉も今では死語になった感があります。

 
  “故郷は遠くにありて思ふものそして悲しくうたふもの よしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれにふるさとおもい涙ぐむそのこころもて遠き都にかえらばや 遠き都にかえらばや” ―室生犀星―

 団塊世代が帰るところはどこにあるかと考えてみると、それは「都」以外ないように思います。その遠き都で一所懸命働いて手に入れた「マイホーム」です。2万8千回あるいは3万1千回「おかえりなさい(ユアホーム)」と言ってくれた「あなたの家(うち)」が実は本当の〈故郷〉ではないかと思うのです。 <藤原>

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